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返信先:@dif_engineなので状態空間が変わるぞというときは力の高階微分依存性を持ってくるのはいけなくて、彼が言っている通り、過去の履歴を持ち出すのが良さそうです。非平衡系統計力学で遅延を考えたりするのと同じく。
この高階一族は見せて欲しかった 何より道隆のプリンスゆえの隙が拡大され伊周の空回りに帰結する悲劇性がラスプーチン成忠の存在でより腑に落ちたろうに 歴史劇としては勿体ないと思ったのだった これと円融院-道兼-実資-公任の反主流派の攻防は外して欲しくなかった 詰め込み限界であっても 12/12
長徳の変で中関白家が没落すると高階家は更に恐ろしい掌返しをする 自分たちの栄達をもたらした皇后定子の葬儀に出なかったのだ 絶句。 中関白家にはこんな凄まじい裏があった 別に全てが高階のせいではない 伊周の無能ぶりに呆れて史実を掘ってみたらこんなものにぶち当たってしまったのだ 11/12
高階の常軌を逸した行為は公文書改ざんにまで及ぶ 道隆の病中に伊周を内覧とする宣旨「関白病間=道隆が病の間だけ内覧とする」を「関白病替=病の道隆に替えて内覧とする」に一文字書き換えさせようとした 蔵人所からの報告で事なきを得たがこんな形振り構わぬ工作を実行したのが貴子の兄弟 10/12
どうもこの高階一族は徹底した実利主義というか、手段を選ばずの利己的行動に躊躇がないのだ 兼家も政治には冷徹無比だったが独特の愛嬌、浪花節感があった(蜻蛉日記) 成忠には何か大陸的なドライさを感じる そのくせ貴子はやまと心を底に敷いた響く歌を詠む情熱歌人なのが面白いのだが 9/12
成忠が幼い息子懐仁親王(一条帝)の教育監になったのだ このままでは息子が高階に取り込まれてしまう… 定子も伊周も当然この祖父成忠の教えを受けている もはや道隆にとっても頼みのブレーンになってしまっている 定子の中宮冊立、一説には中宮と皇后を分ける策は成忠の発案とも言われる 7/12
この背景から出てきたのが貴子だった あの高階の娘を嫡妻にするなんて… 詮子の兄道隆への評価はここで変わった気がする 先例や評判が命の貴族社会、まして詮子は后がねとして兼家から絶大に期待されている身 当然貴子とも距離を取りたかったろうが、その後さらに驚愕の展開が来る 6/12
また学者の家になったのは業平の息子(と噂される貴子の祖父)の代からで、それまでは血筋は天武天皇に遡れるもののずっと平凡な国司階級だった この突然変異とも言える高階家の転身は興味深い 異能の才人成忠はこの偏見を逆手に取る勢いで急激な躍進を始め貴族社会から相当警戒されていた 5/12
これだけでも当時の貴族社会には異色の家と映っただろうがこの高階家には更に興味深いいわくが付いている 成忠の祖父は養子なのだが、なんと在原業平が伊勢の斎宮に産ませた罪の子で高階家が引き取って育てたのだという 伊勢物語の伝承だがこの忌むべき話はこの時代の世間では十分生きていた 4/12
そも詮子は道隆というより貴子に思うところが多かったふしがある 貴子の父高階成忠は非常に優れた学者だが性格が普通でなく気味悪い恐ろしげな人物だったため人々から厭がられていたという逸話が栄花物語にある まあ栄花は道長礼讃物語なのでだいぶワル盛りではあるかもだが 2/12
返信先:@YuiShimamo39284岩波文庫版p106の注にある例ですね。太陽が石を照らすということと石が熱くなることの背後に太陽が石を熱するという高次の事実(高階の自然)が隠れていてそれを参照する作用のことをカントは悟性と呼んでいるんじゃないかと思います。夜に働く神的な力のほうは高次の事実として実在しないのでしょう。
返信先:@MariGIN25邸宅なんですが、道長の場合は左大臣家に入ったわけですから分かるんですが、例えば道隆の場合はどうでしょうか。高階家に関白に相応しい邸を用意する財力はあったんでしょうか。
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Antenna K | BAYFM78 | 2024/05/04/土 18:00-19:00 radiko.jp/share/?sid=BAY… #radiko #シェアラジコ 最初と後半、ブラックペアン2について話されてます。高階先生も撮影に参加!ブラックペアンには二宮君も思いも聞いていたので2があって嬉しい。
▽副本部長 逢沢一郎、浜田靖一、梶山弘志、金子恭之、平井卓也、野上浩太郎、牧野京夫▽幹事長 木原誠二▽幹事長代理 福岡資麿▽幹事 小泉進次郎、佐々木紀、鈴木馨祐、牧原秀樹、松本洋平、島尻安伊子、高階恵美子、堀内詔子、上野通子、太田房江、松川るい、三原じゅん子、吉川有美▽事務局長
この「裳」+「小袿」姿でやらかしてしまったのが高階貴子様。定子様のお母様ですね。 ある時、中宮定子様がちゃんと十二単の正装をしているのに、貴子様は小袿裳姿でした。この場で一番身分が高いのは中宮様なので、いくら母親と言えど中宮様よりくだけた格好はいただけません。 怒った道隆は、 pic.twitter.com/T6vBO0U0yy
大鏡だったか何か忘れちゃったんですけど、作中時代を書いた物語に「そもそも中関白家が没落したのだって高階とかいう後ろ盾になれもしない受領が嫡妻やったからやろ!」みたいな記述があったと拝見したことがあり、まぁ貴族のなかでも五位以上を再生産できる藤原と受領の間で全然待遇が違ったわけで
そういや伊周が「私には跡取り息子も后がねの娘もいます」って言ってたけど、道長にもいるのよなあそれ…ってなって、伊周が道長に勝てるのマジで位が上しかなさげ 正妻の実家の経験値がねえ違いすぎ 伊周には貴子っていう賢母がいるけど伊周の支持率低い一因が貴子ってか高階家だし
瘡が大流行しており、正暦5年頃からは全国的な大流行となっていた。一条天皇も罹患しており、道隆を除く公卿らの死因も疱瘡が原因と見られている。『栄花物語』では病気にはふれず、伊周の外祖父高階成忠による呪詛がほのめかされている。 道兼の関白の時期は短かったが、一度だけ陣定が開催されている
10日ばかりの関白だったことから、7日関白と呼ばれた藤原道兼。 死因は疱瘡と考えられておりますが、藤原伊周の外祖父・高階成忠の呪詛が原因とも言われてます。 後に、彼の子孫が宇都宮家となり、宇都宮を中心に豊前や筑後、伊予や美濃で繁栄し、現在に続いております。(松田聖子も子孫) #光る君へ
藤原道兼の曾孫に、藤原宗円という人物がいる。 この宗円の子孫が宇都宮家となり、北条時政の娘や北条朝時(北条義時の次男)の娘を妻に迎えるなど、北条家とも関係が深かった。 子孫の一派は九州に下向して、蒲池家を継承し、その子孫に歌手の松田聖子や射撃競技選手の蒲池武夫がいる。 #光る君へ