持明院統じみょういんとう)とは、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位に即いた日本の皇室の系統で、第88代後嵯峨天皇の皇子である第89代後深草天皇の子孫で、大 ...

鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて皇位継承をめぐって争った二つの皇統のうち,後深草天皇の系統をいい,北朝につながる。後嵯峨法皇の死(1272)後,後深草上皇系と亀山 ...

鎌倉~南北朝期に分裂した皇統のうち,後深草天皇の皇統。持明院を院御所とした。1272年(文永9)後嵯峨上皇が後継者を指名することなく没したのち,皇位・所領 ...


持明院統 大覚寺統

PDF
  1. https://kuad-rekishiisan.com
  2. wp-content
  3. uploads
PDF
  1. https://kuad-rekishiisan.com
  2. wp-content
  3. uploads

持明院統. 大覚寺統. *貞成親王(=後崇光院)は伏見 松林院陵に. *後花園天皇は後山國陵に. (京都市右京区京北井戸町丸山 常照皇寺内). (1242 ∼ 1246). (1246 ...

後深草上皇のあとは、後深草・伏見(一二六五-一三一七)の両上皇が持明院(じみょういん)(京都市上京区光照院にあたる)で院政をとったので持明院統(のちの北朝)とよび、亀山 ...

鎌倉後期から南北朝時代にかけて、大覚寺統と皇位を争った後深草天皇の系統。南北朝時代は北朝として南朝と対立したが、元中9=明徳3年(1392)南朝を合わせ、以後皇位 ...

北条家が幕府の実権を握っていた鎌倉時代の後期、朝廷では大覚寺統(だいかくじとう)と持明院統じみょういんとう)の対立が起こっていました。大覚寺統から即位した ...

大覚寺統(だいかくじとう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて(南北朝時代には南朝として)皇位に即いた皇室の系統で、持明院統と対立していた。

〇目次00:00 概要01:27 ふり返り01:43 後深草天皇と亀山天皇03:00 大覚寺統と持明院統03:27 分裂のきっかけ04:20 後嵯峨上皇の遺言04:51 幕府の ...

YouTube-YouTube高校 / 日本史

持明院統」の意味は 読み方:じみょういんとう鎌倉後期から南北朝時代にかけて、大覚寺統と皇位を争った後深草天皇の系統のこと。Weblio国語辞典では「持明院統」の ...

持明院統

持明院統(じみょういんとう)とは、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて皇位に即いた日本の皇室の系統で、第88代後嵯峨天皇の皇子である第89代後深草天皇の子孫で、大覚寺統に対比する。この持明院統が、のちの北朝に繋がる。-Wikipedia