袖日記は天保14年9月から文久3年まで約20年間にわたり桝彌(現在の神田通りの中心に位置するところにある酒屋さん)の先代の主人が記録した日記であり、当時の出来事や ...

祭について書かれたものをいくつか提供していただけましたのでここにご紹介します。 1.袖日記 江戸時代に大宮町の造り酒屋「桝彌」の当主が記した日記。 2.大宮浅間秋祭り ...

江戸時代末期の商人日記である『袖日記』(市指定有形文化財)には、万延元年7月6日の「東町若イ衆家臺出ス・・」の記述があり、「家臺(屋台)」や「ダシ(山車)」が江戸 ...


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富士宮まつりに関する情報や資料を随時募集していますので、富士宮まつり倶楽部までお寄せ下さい。 江戸時代. 袖日記は天保14年9月から文久3年まで約20年間にわたり桝 ...

当時の造り酒屋当主の日記「袖日記」には「家臺」や「ダシ」という記述が見られ、万延元年(西暦1860年)にはすでに引き回しが行われていたことが推察 されます。 また ...

2018/5/8 -富士宮囃子と秋祭り 富士宮囃子保存会による富士宮まつりの資料集. 1.袖日記 江戸時代に大宮町の造り酒屋「桝彌」の当主が記した日記。 2.大宮浅間 ...

2010/8/1 -氏子の行う祭りに関する記述は江戸時代の造り酒屋当主の書いた袖日記に見られ、万延元年にはダシや屋臺という言葉が書き記されている。山車や屋台の引き ...

2021/5/13 -引用している「袖日記」は、富士宮市大宮の酒屋、横関家に残されているもので、九代弥兵衛が記したものです。富士宮は東海道からは外れていますが富士川の ...

2007/11/3 -町方衆の動向に関しては、天保3年(1832)銘のある咲花の御通が残るほか、江戸期に造酒屋「桝彌」の当主が記した『袖日記』の万延元年(1860)6 ...

富士宮まつり(ふじのみやまつり)は、静岡県富士宮 ... 日記「袖日記」1860年(万延元年)の記述には「家臺 ... 富士宮囃子保存会というものがあり、「富士宮ばやし」が富士宮 ...