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・19世紀初頭 1804年...『辺要分界図考』/近藤重蔵 内臓抜く→30日程洗いながら乾燥<この期間に親族集まり棺作る。失敗して腐らせると作業した者に賠償させる>→棺の屋根に日本の神社の屋根にみられる「鰹木」と似たものあり→サハリン南部では30日程、サハリン中部・奥地では3年ほどして墓地に葬る

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風、未だ止まず@YM5E9FdHJbBIPkE

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1809年...『北夷分界余話』/間宮林蔵 首長が死亡→内臓を抜く、屋外の台の上に置き、女性が日々、拭き清め、腐食を防ぐ(仮に遺体が腐敗した場合、作業していた女性を先に殺し葬り、後に遺体も葬る)→棺の製作には1年ほどを要する。

風、未だ止まず@YM5E9FdHJbBIPkE

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