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まあよしとしよう。宮台の解釈ならぬ改釈は、宮台の読解能力の問題(略)かもしれないからだ。しかし「小松の議論と同形式の議論」として挙げた、桜井哲夫『〈自己責任〉とは何か』、および大澤真幸「自由の牢獄」(『アスティオン』49号所収)の取り扱い方は看過できない。すなわち宮台は、同氏に

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