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この思い込みに沿って国鉄の分割民営化も行われ、それが一時的には「成功」とみられたことで、この信念はいっそう強化されました。それによって、「交通する権利」は全国民に等しく担保されるべきという考え方の定着が阻害されたのではないかと、私は考えています。
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「交通」という言葉が明治に広まったときは、単なる人やモノの移動に限らない、より広い意味が含まれていました。そこから「交通権」という観念が生まれる可能性もあったのですが、その意味は狭まってしまいました。詳しくは東島誠『〈つながり〉の精神史』をご参照ください。 amzn.to/4ccEfX0