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亀卜は恣意的に選んだ皇女、女王の名にひびの方向が行くまで何度でもやるとか・・・つまりあらかじめ答えありき。 大津皇子の姉大伯皇女が伊勢の斎院に選ばれたのもまさにそれ。大伯皇女が結婚し弟大津皇子を担ごうとする豪族ができては持統天皇にはまずいです。 朱雀帝の幼い皇女より朝顔姫が適任。

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みつばち 四元豚@carneolus

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候補の選出が恣意的だったのは恐らく事実ですが、斎院は原則としてまず内親王、特に時の天皇の娘から選ばれました(娘がいない場合は姉妹)。実際、源氏物語より約100年前に、醍醐天皇の皇女恭子内親王が2歳で卜定されています。 あと、大伯皇女は斎院ではなく斎宮です。

千尋@葵の御所@tihiro_kamo

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