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兼家パパが最期に詠んだ蜻蛉日記の歌、倫子のサロンでも取り上げた歌だ。寂しい独寝の女の嘆きを謳ったものではなく、激しく恋に焦がれた輝かしき日々の思い出であったと、サブリミナル寧子も兼家自身もそう想っていたと…。これは晩年の道長とまひろを示唆しているのかなあ(キュン) #光る君へ pic.twitter.com/ZR4iYvb5rw

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みんなのコメント

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「秋風の うち吹くごとに 高砂の 尾上の鹿の 鳴かぬ日ぞなき」

🐰@aaa88421046

和歌の会で詠まれた歌は、秋風が吹くたびに鹿が鳴かない日はない=飽き(秋)られたと感じるたび私は泣いていると。蜻蛉日記の歌と同様に、恋しい人に会えなくて哀しんでいる歌。使命を遂げられず己の無力感を憂いつつ、恋しい人に会いたい道長くんとまひろちゃんの心情を指していたのかな #光る君へ

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素敵な演出でしたよね😊 それにしてもサブリミナル寧子に思わず笑ってしまいましたwww ネーミングセンスが凄い笑

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