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これなんかバズっちゃったけど、7〜8割くらいの反応が「絵のうまさと漫画のうまさの違い」の話にしちゃってて。 個人的には漫画と絵の違いはAI持ち出さないでも言うまでもない事なんですよね。 今回感じたのは「絵のうまさそのものもそうなんじゃないか」って事なんだけど、漫画の話になっちゃったな
メニューを開くこれ実は昔からみんな無意識下では分かってたのかも。 『進撃の巨人』の諫山創先生は「うまい」し、『カイジ』の福本先生は「うまい」。 AIの出現でよりハッキリと「そういう事ね」とわかりやすくなった感はありますね。
みんなのコメント
僕の意図としてはこれはどの表現にも通じる話で、あえていうと「漫画というクッションをかますとわかりやすくなる話」かなと思ってます。 「演奏も一緒かも」「書道もですね」と言ってくださった方はいましたね。その方たちにはちゃんと伝わったな
これなんかバズっちゃったけど、7〜8割くらいの反応が「絵のうまさと漫画のうまさの違い」の話にしちゃってて。 個人的には漫画と絵の違いはAI持ち出さないでも言うまでもない事なんですよね。 今回感じたのは「絵のうまさそのものもそうなんじゃないか」って事なんだけど、漫画の話になっちゃったな
わたしの投稿にも同じような反応がちらほらありました。 どんな分野でも、集合知によって整ってはいるけれども明確な意図のない芸術は、より退屈さが明白になっていき、うわべの精緻さだけでは評価されなくなっていくだろうなと思います。
わかる、わかる。漫画の話じゃなくて純粋に「絵」そのものの話だよね。 多分「うまい」の定義が「デッサンが整ってる」なのか「情報伝達のための条件が整っている」なのか、さらにそれは「漫画の技法との合わせ技として得られてるものである」のかあたりの認識の違いが如実にでたなーって気がする。
生成AI人物画を見てると「キレイなんだけど違和感がある」が多く、その違和感を言語化するには美術論やデッサンなどの知識や技術が欲しくなります。 人間だと絵柄が上手い人は構図やデッサンも上手いのですがAI絵はそうではないので、そのアンバランスさが違和感を強くしている印象を受けます。
同感です。 この一年、敵を知る意味で生成AI絵もチェックしてきましたが、絵として一見キレイ、一見凄いと感じても演出等のちぐはぐ感でやはり違和感のある絵(モドキ)なんですよね。 プロの漫画と絵師の絵のうまさと絵柄の好みを別とした総合的な良さは別軸だというのは大分前から考えていました。
AIにはAIに相応しい評価軸があるはずで、それは今のような人間の真似ではないと思います 個人的には生成AIに入力するプロンプトは環境から自然に入力されるものが良く、今のように任意のワードやデータで強制的に出させる物は十分な創造性は得られないと思っています