ポスト

藤原秀衡の没年が仮に65で、そのとき泰衡が35、泰衡母が50だと仮定すると、形の上とはいえ泰衡母の婿となった国衡はやはり40を越えていたのではないか。 また、秀衡六男とされる「錦戸太郎」頼衡は、国衡の子なのではないか。 などと熱っぽい頭でぐるぐる考えている。

メニューを開く

羽後ノ筍@ugntknk

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ