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本によると田の神信仰は1716年から2年くらい続いた霧島山(新燃岳)の噴火の後から一気に増えたらしい。宮崎鹿児島では田の神は石像で、ある意味石への信仰とも考えられる。北斗七星の巨大な柄杓で水をかけたかった噴火というのはこの年代の話かもしれない。

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ばよす@YosugaHaba26

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しかも田の神を盗み合うという文化もあったらしい。池之原の磐座が無かったことが繋がってきたりするのかな。

ばよす@YosugaHaba26

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