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磯城瑞籬宮御宇御間城天皇(崇神天皇)の御世、肥後国益城郡の「朝来名(アサクナ)峰」に「打猿」と「頸猿」という二人の「土蜘蛛」がおり、180人余りの軍勢を率いて天皇に服従しなかった。そこで天皇は肥君等祖である健緒組(タケヲクミ)に征伐するよう命を下し、健緒組は「土蜘蛛」らを悉く滅ぼした→

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Takeo Kusumi@T_Kusumi057

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「朝来名」(アサクナ)峰は旧益城郡にあり、そこが狗奴国王の本拠で後に「土蜘蛛」扱い、弥生終末前後の大集落として、新御堂(貨泉や大泉五十など出土)、二子塚遺跡、江津湖、神水、五丁中原遺跡などあり(いずれも鉄鏡や青銅器多い)。また「ククチヒコ」はその北の方保田東原、小野崎遺跡が本拠か

Takeo Kusumi@T_Kusumi057

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私、健緒組や建借馬は火国出身ではないかと考えております。

satoshift@asatoshift

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