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智恵の始まりとなる主への畏怖は〔詩編一一一・10、箴言一・7、ヨブ記二八・28〕、わが身勝手な意志に対抗する精神的に自立したものへの畏怖である。 主への畏怖は、人間が自らの個別性において自分の無力を知り、この個別性が自分のなかで震撼させられるときに、初めて人間のなかに生じる。 ↓

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安西大樹(あんざいまさき)@merginalman

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智恵の始まりとは、自分ひとりの利害関心や主観性がみずからを真実でないと感じ、個別化して無力を自覚したときに、 否定を介して知という普遍的な絶対的なものへと移行すること、これである。 『宗教哲学講義』ヘーゲル/山﨑純訳

安西大樹(あんざいまさき)@merginalman

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