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佐野晴夫「生田春月と山陰の詩壇(4)」 「山口大学教養部紀要 人文科学篇」21(昭和63年2月) dl.ndl.go.jp/pid/1791594/1/… 徳田秋聲は大正9年1月23日付で鳥取県西伯郡余子邨大字福定の彼宛に封書を出しています(全集別巻159-160頁)。秋聲は同書簡で重山紫翠(死水)にも言及しています。

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亀井麻美@kameiasami

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そこに書かれている『一滴の露』が「大阪朝日新聞」の懸賞小説に入選したのがきっかけで江外は上京したようです。 ※なお、江外の長女ちとせは堀川直義の妻。 (全集別巻所載の秋聲書簡では「左近」と書かれています。全集の誤植か秋聲の誤記かは不明)

亀井麻美@kameiasami

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