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存在の思考は純粋な非暴力だ、とわれわれは言っているのではない。 純粋な暴力と同様、純粋な非暴力も矛盾した概念である。 この場合の矛盾は、レヴィナスが「形式論理学」と呼ぶものを超え出ている。 『エクリチュールと差異』「暴力と形而上学」デリダ/谷口博史訳

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安西大樹(あんざいまさき)@merginalman

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顔のない存在どうしの関わりとしての純粋暴力はまだ暴力ではなく、純粋非暴力である。 それとは逆に、(レヴィナスが解する意味で)他に対する同の非-関わりとしての純粋非暴力は純粋暴力なのである。 『エクリチュールと差異』「暴力と形而上学」デリダ/谷口博史訳

安西大樹(あんざいまさき)@merginalman

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