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岩倉使節団の派遣で大久保・木戸ら元勲不在の中で、西郷・板垣と共に留守政府を預かり、当時紛糾していた征韓論 (提唱者は副島種臣)において内治優先論を展開した (西郷・江藤新平の乱には心を痛める)。 そして、大久保と接近し大蔵卿に就任したが、暗殺後は、伊藤と共に政府の中心人物となる。

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しかし、開拓使官有物払下げ事件において福沢と共に情報リークを疑われ、明治14年の政変で政府を追われる。これを機に、立憲改進党・東京専門学校を設立し、在野での活動をはじめる。 第1次伊藤内閣で外務大臣として政権に復帰するも、条約改正の問題で、過激派の爆弾テロに遭い片足を失う。

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