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私も当然、『隋書』裴清の道行文を思い出しました。どうも山尾氏は才気走った考察が疾走していく感じで、大丈夫なんだろうか?なんて不安に― 【正始元年,太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國,拜假 倭王,并齎詔賜金、帛、錦罽、刀、鏡、采物,倭王因使上表答謝恩詔。】は行ってますよね!

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hyena_no_papa@hyena_no

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裴清の道行文で秦王国から以降の途中経過は【又經十餘國,達於海岸.自竹斯國以東,皆附庸於倭】のみ。秦王国の注記が15文字であるのに比べ、距離にしては簡素。女王之所都をヤマトとすれば、不弥国から都までの途中経過は投馬国のみ。 物見遊山ではないので途中の記載はその程度か?

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