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『徒然草』は応仁の乱あたりから一部の僧侶や公家の間で読まれたり書写されたりして広まってはいたけど、大衆的人気が出たのは江戸時代に刊本がいくつも出てから…ここで大衆レベルの兼好認識にバグが生じた。

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原田 実@gishigaku

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なぜなら、それまで広く知られていた兼好像は、『太平記』に基づき、塩谷判官の妻に横恋慕した高師直に頼まれて恋文を代筆したおべっか使いの色事師だったから…これと『徒然草』に現れた思慮深い隠者との整合性を求めねばならなくなったから twitter.com/gishigaku/stat…

原田 実@gishigaku

『徒然草』は応仁の乱あたりから一部の僧侶や公家の間で読まれたり書写されたりして広まってはいたけど、大衆的人気が出たのは江戸時代に刊本がいくつも出てから…ここで大衆レベルの兼好認識にバグが生じた。

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