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例えば鷹山だと、創作論を語っている姿からは、論理性・合理性が「かなり高い人間」に「多数派の視点」からは見えるのではないでしょうか。で、その論理性・合理性をもっと極端にして、多数派の視点から「sugeeee」にしたのがアニメ化した百錬の覇王ですね。
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逆に、「論理性・合理性の高さ」を極端にして、多数派の視点から「おかしいもの」として描いたのが新作の、「孤高の王と陽だまりの花嫁が最幸の夫婦になるまで」です。自分の変人性を「憧れ」として描くか、「おかしなもの」として描くかで、作風に幅が出来ます。