ポスト

常に周囲の顔色を窺って暮らすのが日本の生活の習慣だけど、その結果生まれた婉曲表現を多用する習慣が、いまでは周囲の嘘に同調する習慣に発展してしまっていると観察してます。 少しでも縁(よすが)があれば嘘を信じ込む生き延びる為の知恵も身に付けている…

メニューを開く
ゆー@uwawatsuwawa

返信先:@gamayauber01事実を婉曲に表現する、転じて現実浮遊しがちな文化と、文法的に主体を省略して記述しやすい事が意識を自身から遠ざけるのか、現実の痛みを感覚遮断する結果を生むのかもしれません。今ならガメさんの苦手なアニメも見られるかもね。 ともあれ、引き続きお大事に。

James F. ガメ・オベール@gamayauber01

みんなのコメント

メニューを開く

「婉曲表現を多用する習慣」は、言動に対する責任を逃れるため。 だから「言語と現実が乖離する」状況に陥ったのです。 わたしも無意識にしている気がして怖い。

メニューを開く

西洋的な思考をする教育×土着の習慣×日本語は相性が悪かったんだろうなと思います😓 これからも日本が西洋的な価値観の中に生きていくなら日本語はこれからもどんどん変化していきそうです

ねこまま🇵🇸🍉🕊NO WAR@necoakachan

人気ポスト

もっと見る
Yahoo!リアルタイム検索アプリ