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今から30年以上前、少なくとも東京のある大学と神社本庁は、東宮妃御内定発表前の内々定の段階で宮内庁長官宛に御再考を願い奉る上表文を出していた。御相手の日本文化の理解度に懸念、将来に禍根云々と。正式発表直後に教授から直に明かされた話。当時学生だった僕は考え過ぎ、とは思っていたが…。
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いえ昭和帝も結婚には反対されていました。雅子ではだめですか?と今上は問い返しましたが認められませんでした。 昭和帝がなくなった後、ここぞとばかり結婚した行為自体褒められたものではない。この一件から私はあの方は天皇陛下にふさわしくないと考えています。…
昭和の大帝が反対されていただけでなく、それまで行われていた身元調査もある組織の猛烈な反対で行われなかったそうですね。 後藤田正晴だったかが「結婚すれば皇居に筵旗が立つ」と言ったとか。 私は写真雑誌に載った、革手袋でカメラマンを指差す写真を見て「何でこの女が?」と思ったものです。
母方がチッソの江頭、父は親中福田元総理の側近小和田で後に天皇訪中という政治利用を先導。加えて民間レベルにまで漏れ聞こえるご本人の素行。子供心にも不安要素ばかり。昭和帝が御反対されるのは当然。無私で国民のお手本と信じていた徳仁親王殿下(当時)の我を通す御発言とご成婚は絶望しかなかった
今、日本を支配している電磁波テロ=革マル派一部中核派が作成のブログですね。 「憂うべきこと、心の象徴である皇室とは違和感のある皇太子妃を迎え入れたことであったかもしれない。ご成婚のときには近所の創価学会員(自称、共産党同和団体)がかなり盛り上がっていたのを覚えている」
(今から30年以上前、少なくとも東京のある大学と神社本庁は、東宮妃御内定発表前の内々定の段階で宮内庁長官宛に御再考を願い奉る上表文を出していた。御相手の日本文化の理解度に懸念、将来に禍根云々と。正式発表直後に教授から直に明かされた話。当時学生だった僕は考え過ぎ、とは思っていたが…。)…