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まずは、日本の文芸批評の保守本流を語ると男性の名前ばかりになること、日本型批評の批判精神はジェンダーを不問にしていたということ。これは平野謙のハウスキーパー論にも通じていると思います。あとは、その男性性の発露として批評における私性が見出だされていること。(矢野)

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批評の歴史および批評に対する上記いかにも現代的な批判も踏まえたうえで、なお批評家としてどのような振る舞いをするか。ここがとりあえず出発点だと思います。あと個人的には、マルクス主義的な敵対構図および革命の構図を手放していくことも考える必要を感じます。(矢野)

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