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「雲ちりぢり学継ぎがたし迢空忌」 俳人 能村登四郎は國學院の出身で千葉私立市川学園に長く勤めた。折口の存在から國學院は短歌色が強そうだが、飯田龍太 、村山古郷、角川源義など名を残したのは俳人のほうが多い。「学継ぎがたし」は折口から距離を置いて傍観していた俳人能村の慧眼を感じさせる。

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宇治の瀧屋@UYE6bd8Np9Necw1

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折口門下で春日南郷禰宜筆頭である梅木家の出である梅木春和、奈良高畑の地で折口学統を伝えた。「非業にして死し煉獄に苦しむ未完成なる霊の行くへを尋ねゆかむ山のあなたに、われわれは民族の神学をこそ築き設けてゆかねば」と説いた。 「神々のよみがへります世の相、究め説きつゝ隠りたまひぬ。↓

宇治の瀧屋@UYE6bd8Np9Necw1

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