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これも誤解があるようですが、当時のスペインは数百名程度の派兵でも現地人との連合により数千名以上になり「征服」を可能にした、という経験を積んでいます。 「当時のスペイン人は可能だと考えていても矛盾はない」というのは上記の経験から類推したものです。 他の記述については大体同意できます。

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Amictica sal vitae.(新アカウント)@boots_fleck1

秀吉以前にしても、良くて数千名程度の戦力を本国と遠く離れた事務所の権能者が持ってたところで、当時の中国やら日本に何とかできる範囲で数百名程度の派兵をしても、貿易事務所とその周辺の権益を築くにいたらないので、本国はもちろん、地方の軍指揮権を持つ誰もそのことを実行しなかった。

みんなのコメント

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東南アジアにおけるオランダの進出に対抗するため、同君連合化していたスペインにポルトガルが救援を求めたという流れです。 ポルトガルはもともと希望峰とゴアを経由してマカオに至るルートを持っていて、このときはそれを利用しています。

旗代@5月5日:軍事革命論イベント開催@Hatashirorz

返信先:@a3dayo論旨基本的に同意ですが、1599年のポルトガルへの救援、とスペイン本国から、の文脈が良く分からず、東アジアへの派兵の話だと思っているのですが、ポルトガルであっていますか?またヌエバ・エスパーニャ経由ではなく、東回りで直接ということでしょうか?すいません、この辺りは余り詳しくないので。

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これは失礼。 たしかに、それは考えていたと思います。 コエリョなどは現実的におそらく不可能と知りながら、やぶれかぶれでそれを行う試みをしたことがあります。 キリシタン大名は当然ながらそんなつもりはなく断り、出先の事務所から軍を派遣するべき総督はその能力がないとして断っています。

Amictica sal vitae.(新アカウント)@boots_fleck1

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