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自社の販売網も、モノの売買値差で収益を得るのではなく、通信事業者からの手数料で利益を得るというビジネスモデルに馴染めなかった。販売価格0円なのに収益が上がる不思議に戸惑っていた。阪神淡路大震災が携帯電話普及拡大のひきがねになり、端末販売は倍々ゲームを記録、全社の収益を支えた。

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A1 Kamayama@eikama

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潮目になったのは黒船iPhone の登場だった。 やがて携帯電話はケータイとなり、それはいわば無線通信機能のある超小型PCだった。さらに高速大容量のネットワークを活かした音楽、動画をはじめ多様なアプリが端末に搭載された。 端末メーカーの図式は変わり、当初のトップ3は今業界に姿はない。

A1 Kamayama@eikama

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