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織田と本願寺の勅命講和の後、本願寺が禁裏経由で依頼して諸国から本山への参詣を保障する朱印状を出してもらってた背景、多分、それ。 報恩講の始まりは覚如さんですが、戦国期には各地から門徒や御連枝が親鸞聖人の御正忌に本山へ。 なお、教義解釈云々自体は一応、藩政期に三業惑乱が(ry pic.twitter.com/YOpIkisTpV

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無面目@hieda02rou

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本山に向かう人の流れを掌握する事で本願寺は当時の物流にも大きな存在感を示していたのでしょう。(寺を繋いで人を橋渡しする様子が記録に残っている様です

ドンじょぶお@urakkun26

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