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今の要法寺と当時の要法寺を同じだと思っていたら間違いです。当時の要法寺は大石寺の末寺としての意識が高く、現在の様相とは全く異なっていました。大石寺の戒壇大御本尊を根本とし、大石寺を本寺(本山)と仰ぐ寺院でした。貴方の主張は間違いです
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要法寺が大石寺を本山と仰いだことなんぞ一度もない。 仰いだというなら互いに末寺をわけておったのは一体どういうことなのか❓ そして要法寺が戒壇之大御本尊を根本にしたこともない。 紙幅曼荼羅や板曼荼羅は広布の暁に仏像造立をするための設計図であるというのが日尊門流の認識ですよ。