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鉄道も高速道路も無い埼玉の田舎町。山間地のため農業も風前の灯、土地が無いので企業誘致も出来ない。小学校は統合しても一クラスがやっという状態。消えた行く運命の町である事には間違いないかもしれないけど、みんなで楽しむ祭りがある。祭りができるかどうかが生命線のような気がする。 pic.twitter.com/2KF9sooDN6
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どうか移民促進だけはしないでほしい。伝統が壊され祭りもできなくなるから。 例えば使われなくなった校舎を若い芸術家が作業する(都会では家賃も高く騒音問題がある)芸術村にすれば、その家族も住むようになる。そして葉っぱビジネスなど。外部の者がすみません。 projectdesign.jp/201510/pn-toku…
FF外から失礼いたします。 チェーン店はどこにでもあるけど、お祭りはそこの地域にしか無い大事な物だと思います。 普段は人口少なくても祭りの準備には帰省してくれるとか、外部の方が参加してくれるとか、色々変化しながらでも地域の文化を守って欲しいものです。 難しいかもしれませんが....
このお祭りをどうか末永く続いて欲しいです。自分が住む所は新興住宅街となり殆どお祭りもなく、昔ながらの店は大型ショッピングセンターの中に入り消え去った。喫茶店も全国展開の有名店しかない。土地に愛着もなく人々も流動的だから左翼が栄える。本当に羨ましいです。
地域の大きな祭りは準備等も大変でしょうが、 地元の方にとっては大きな楽しみですよね。 今は趣味で立派なカメラを持つ人が増えたので こういった祭りは人を呼び込むいい題材になります。 ただ同時に「この時だけ」外から来る人の トイレや駐車場をどうするかとか 難しい面もあると思います。
昨秋、小鹿野に行った時に小鹿野小学校を通りかかったら先生のピアノの音と一緒に子どもたちの歌声が聴こえて来ました。一生懸命、ひたむきな歌声がビルのない広い空に響いていました。なんだか懐かしいような気持ちになりました。そんな場面に出会えて小鹿野に行って良かったと思いました。
祭礼というのは大字単位の地域や集落がその規模の集まりでいられる最後の拠り所なんだと思っています。その宗教的意義は薄れてしまっても、街に出ていった地元の子どもたちがいくつになっても気軽に帰ってきて旧交を温める、そんな祭礼が一つでも多く残ることを願っています。