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アジア初の近代西洋ハイテク工場計画である島津斉彬の「集成館事業」や、明治維新の資金源として日本の近代化を支えていたのが、奄美の砂糖である、という位置付けは外せない。薩英戦争で見せつけた薩摩の軍事力も奄美を収奪した蓄財があったからこそ。薩英戦争後、英国と薩摩藩は手を組み明治維新へ。

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冷凍都市@ayumochineko

ヤンチュ=債務奴隷。明治になってからも存在した。薩摩藩の過酷な税により、負債が増え、全村民が身売りして誰もいなくなる名瀬や大和濱の例も。藩政期は奄美の人口の4割がヤンチュだった。また、彼らを中間搾取したのは、権力を笠に着た沖縄時代からの豪農の家系からなる島役人だという悲劇。

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幕末、薩摩藩とグラバー商会が奄美大島で白糖工場を操業する計画が所謂「オオシマ・スキーム」。黒糖が値下がりし藩の収入が打撃を受け、英帝租界の上海に向けて高値で売れる紅茶用白糖の製造へとシフト。 ※写真は白糖工場の日本初の煉瓦。 蒸気機関産業革命の最先端技術が奄美に集結したわけだ。 pic.twitter.com/kQwBxDemtG

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