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⑤愛が偽られて献身(そして利他主義)とされてしまったということ。ところが愛は奪取であり、ないしは人格性の充溢から結果する分与である。このうえなく"全き"人格のみが愛することができる。没人格的な者、「客観的な者」は、このうえなく劣等な恋人である(──女性に問うてみよ!)。

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林くんは静かに暮らしたい@hys2go

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このことは神への愛とか祖国への愛とかにもあてはまる。すなわち、確乎としてみずからにたのむところがなければならない。("自我に"化することとしての利己主義、"他人に"化することとしての利他主義)。 (ニーチェ『権力への意志』295)

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