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ちなみに、武埴安彦の亂は、何度も書いているが、日本史上、無茶苦茶大事な合戦で、たぶん、関ヶ原の合戦以上に重要。 なんといっても、闕史八代明けの最初の天皇かも、と言われる崇神天皇に対して叛乱を起こしたわけで、しかも武埴安彦は崇神の叔父で、孝元天皇の末子(第五皇子)。

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鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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で、崇神の母は開化の皇后イカガシコメで、元は孝元の妃だから、武埴安彦には継母に当たるので、古事記では、武埴安彦は崇神の庶兄(腹違いの兄)とされる。 で、崇神は、卑彌呼死後の男王とされる。つまり、男王に対して、国中服せず、と魏志倭人伝に書かれていることの記紀での記述が武埴安彦の亂。

鬼塚健太郎@KentaroOnizuka

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