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吉田茂が敗戦国の現実を見せつけられる東京を避け、権力の空白を埋めるため御用邸のある那須に対抗するため江戸城に似て断面的に距離のある箱根の三井別邸に籠ったという原さんの分析。湯河原に週末公用車で通ったと都知事を下ろされた舛添さんは本書があれば反論できたかもしれない。

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Ryuji Fujimura@ryuji_fujimura

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岸・池田の時代になると堤康次郎の名前が頻繁に登場する(16ヶ所)。大磯・箱根・伊豆長岡・軽井沢と聞くと全て堤康次郎(1889-1964)が関わった土地であり、影の主役のようにも思えてくる。が、原さんによると軽井沢でも政治家の別荘は旧軽井沢・堤の開発は中軽井沢で同じ軽井沢でも違う場所とのこと。

Ryuji Fujimura@ryuji_fujimura

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