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世界の地図を見ると,19世紀の英露抗争の戦略的な背景が端的にわかる。 既にハートランドのほとんどを勢力下に収めたロシアは,インドの陸側の門を叩きかけていた。 一方,英国は中国の海側の門を叩くかたわら,インドの門からも内陸に進撃して,北方からのロシアの脅威に対抗しようとしていた。 ロシア

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マッキンダー&曽村保信Bot@MackinderBot

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のハートランド支配は東欧のマンパワーに基づくものであり,これをインドの入り口まで運んだのがコサック騎兵の機動力だったことはいうまでもない。 インドとさらに東の海の前線に配置された英国の兵力は,西欧の島々から連れて来られたもので,これを可能にしたのはむろん英国の艦隊,商船である。1919

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