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私の母親は普通に生活してたけど、四国の高松で空襲を受けた。 官費で日赤の看護師学校で学んでいる時だ。 同期の女性2名が焼夷弾で亡くなった。 病院船に乗る先輩を高松港から見送った。 米軍の無差別魚雷攻撃で誰も帰って来なかった。 母親が1年早く生まれていたら、同じ運命を辿った

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そうだ。 空襲で重症に負った患者の治療をした。 若い男の先生は震えて何も出来なかった。 看護婦長さんが喉の器官を切開をして呼吸を確保し命を助けた。 修羅場を経験したがPTSDになったかどうかは分からない。 PTSD rcpsych.ac.uk/mental-health/…

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南京に配属された人は日本人はモテたからもしまた戦争になるなら平和な南京が良いとまで言ってた 露と戦った人も休戦時間に斥候がやって来て日本人は敵味方なく死体を穴に入れて焼くが何を?と聞いてきて身振り手振りで話たら物々交換したりで仲良くなったら隊長を置き去りに引き上げたとか聞きます

ぐっちー()@1470gutti

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