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新宿の西口と東口をつなぐものとして特別な存在だった角筈トンネル。東西自由通路ができて存在感が薄れてしまった。先日久しぶりに行ってみたら自分しかいなくて感動した。30年前の自分にこの写真を見せたいが、「30年も経ったらそういうこともあると思いますよ」などと言いそう。 pic.twitter.com/ifzCBT8k3x
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今から40年位前の1980年頃、この通路は悪臭が漂っており、通るときは鼻をつまんで通りました。「盲目の私でも生きていたい」という紙を掲げた乞食や、足のない傷痍軍人が真ん中に常にいて、子供心に怖い通路でした。
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こちらが山田風太郎が落ちるB29を見上げた角筈トンネル東口です。
【最終13巻ついに発売!】警視庁草紙-風太郎明治劇場-@keishichozoushi
山田風太郎生誕100周年カウントダウン。続いております!本日の画像は、終戦の年、風太郎先生こと、当時医学生であった山田誠也青年が綴った日記の漫画化『風太郎不戦日記』1巻からの一場面。 2月先生は新宿で「空の要塞」のごときB29が撃墜される様を目撃します。 #山田風太郎生誕100周年
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「角筈トンネルがあるのになんで自由通路なんか作るんだろう」と若いときは思っていました。できあがるまでの間にわたしも老いました 臭いのが難点のトンネルですが、使われないとますます劣化するだろうなあ…なんとかならないかなあ