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掛け算の順序問題の反順派は「式は抽象であり場面を表さない」という。 しかし、場面という具象に立ち戻ることができない抽象なんて無用の長物だと思う。 その抽象から色んな具象を読み取れる方が明らかに豊かだと思う。
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逆順の式からも正順の式と同じ場面を読み取れるようになりましょう。逆順の式という抽象から正しい具像も読み取れる方が明らかに豊かだと思いましょう。 対して、掛け算の順序縛りは、同じ場面という具像に立ち戻ることができない中途半端な抽象なんて無用の長物だと思いましょう。
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さんすうの問題なんだから。 「いろんな具象」が読み取れちゃダメでしょ。 てか、さんすう的な「豊かさ」ってなに? 「一つの数式から、多数の「物語」を読みだす」 なんてのは、思考実験としては面白いかもしれんけど、さんすうじゃないぞ。 そりゃ、こくごの範疇の話。
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「リンゴ3個とリンゴ2個で合わせていくつ?」→抽象化!→3+2=5!→なにが5なんだっけ?あれ?3?2?とか、マヌケ以外のなにものでもありませんものね。 式として抽象化して計算できるようにするのはいいのだけど、それはもとの「場面」の情報を「そぎおとした」ものではない。
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3+2=5という式が別世界に独立して存在しており、その関係式はまさに「りんごが3つに2つ加えた状況」と同じだ!と、メタファーを通して理解します。 すなわち我々は、式の示す意味内容を「読み取る」のではなく、「類推」しています。故に、式自体が場面を表すことはなくても、活かすことができるのです