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戦時下(太平洋戦争)の秋田の若者たちのことを調べていたら、興味深い記録に出会った。昭和18年、県下の旧制中学校では7月に「全県中等学校合同演習」という大規模なイベントを開催していた。これは県南、県北に分かれ県下の中学生が行軍し、能代の東雲で遭遇戦を展開する、というものだ。

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無明舎出版@mumyosha

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昭和16年にはすでに中学生の学帽は戦闘帽に代わり、制服も国防色といわれるカーキ色、登下校時はゲートルをまき下駄や地下足袋だ。戦況が厳しくなる昭和19年、3年生終了と共に軍の人事部の割り当てを受け予科練や幹部候補生に半強制的に志願させられるものが急増する。こんな時代があったのだ。

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例えば横手中学生ならば、木銃を担いで炎天下、神宮寺、和田、金足と北上、徹夜で能代まで歩き通す。夕食は民家でとり、宿舎は国民学校だ。能代の東雲原が演習場で、ここで県北と県南の中学生が空砲と木銃で対決する。これが当時の少年たちの「まつり」であり「遠足」でもあったようだ。

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