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臨津江の舟運、黄海の潮位変化の影響を受ける喫水域となる限界地点が高浪浦の辺りということもあったらしい。大潮の時は臨津江河口から潮の勢いだけで「一潮」で高浪浦まで遡れたそうで、故に河川港として栄えたと…(海から高浪が遡って来る浦、ということか…)

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せき のりかず@kotonoha_s

なるほどね…元堂里(舟谷里)のところの砂州や河川合流で大型船の遡上ができない、のね…。そしてその手前で川の流れが落ち着いていて地盤のよい場所が河川港として拓かれた、ということね…

せき のりかず@kotonoha_s

みんなのコメント

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臨津江、今は目立たない存在になってるけど流域はめっちゃ広くて京畿道北部から本流は今は北側の元山の西20km辺りまで遡れ、支流の漢灘江を経て抱川や江原道の鉄原も「舟運勢力圏」となっていて、それら上流からの物資が高浪浦に集まり積み替えられて仁川港なり漢陽/京城の麻浦まで運ばれてた、のね… pic.twitter.com/xhWaaSwwTr

せき のりかず@kotonoha_s

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