ポスト
これだ、キャンパスがかつてよりも狭く感じられたのは、あちこちにあった奥行きの表現がなくなったからだ。このキャンパスには、いまここにないものがない。立て看は、いまここにないものを表現していた。だから俺の想像力が自動的に、物理的な大きさを超えた大きさをこのキャンパスに与えていたのだ。
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良い意味でも悪い意味でも、思春期の私たちに刺激を与えてくれたのも看板でしたね。思想の自由、多様性の世界を初めて知ることで自らの鎧にも隠れ蓑にもなっていた。久々に雑多なものに触れる懐かしさが記憶と共に蘇りました。