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京都新城に北政所、伏見に家康、大坂に秀頼と傅役という配置は関ヶ原合戦後に徳川色が濃厚になっても維持されてるし、朝廷との交渉権を家康一人が独占する様になっても尚秀頼は摂家当主として関白に就ける家格は維持してる。関ヶ原合戦で徳川の覇権が確定したというのも徳川史観という物語でしか無い。

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ドンじょぶお@urakkun26

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無能な秀頼を甘やかし続けた家康だが顔に泥を塗られてとうとう堪忍袋の緒を切ったというのが最近の歴史エンタメのプロットかね。虎視眈々と豊臣滅亡の陰謀を練ってた狸家康というこれまた歴史エンタメの逆張りでしか無いし、それに気づけないのはバカ。

ドンじょぶお@urakkun26

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