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で、実際には、孝元天皇の五人の皇子は、ほぼ、狗奴國側の人物だったわけで。で、五人はみんな河内生まれだから、卑彌呼のいた邪馬臺國の御間(ミマ=彌馬、纏向の卑彌呼の宮、纏向)に近く、集まりやすかった。 孝元天皇は、すでに故人。
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で、集まったのは、大彦(←アメノホヒ)、武渟川別(←タケヒラトリ)、崇神(←ニニギ)、彦坐王(←ニニギの弟?)などなど。全員が、孝元天皇の皇子と皇孫。 だいたい、孝元天皇は、孝霊天皇の長子だから、末子相続が原則の時代、河内に下向して、河内に土着するはずだったのに、