ポスト
キャンバスに描かれたナン(ヌードでも風景でもナンでもよい)を、一般観念とか記号として眺めてしまうと、それはロールシャッハテストの「インクのしみ」と変わらない「現象」になる。そうなると鑑賞者たちはそれぞれのナンの記憶(ネガティブ記憶/ポジティブ記憶)でもって自分語りを始めてしまう。
メニューを開くみんなのコメント
メニューを開く
かような自分語りとしての作品解釈や、言説批判については、ナンよりもヌードのほうが典型例かもしれない。いずれにせよ、提示者とか発話者とか、表現主体側がどのように(How)眼差し、どういう提示動機(情動)をもって描いたのかといった、非自己への身がさねができなければ、それは鑑賞ではない。