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また、「我カ臣民克ク忠ニ」「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」としか書かれていないが、これの発想には「臣ト為テハ忠ニ死シ」(元田永孚「教育大旨」)がある。当時の庶民としても、武士ではない自分たちが君主のために命を犠牲にするなどは、「一般的な道徳」ではなかろう。

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住友陽文@akisumitomo

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しかも、忠と孝とは一致するというのが、戦前の家族国家観の特質で、すなわち忠はもちろん天皇に対してだが、孝は親だけではなく、これもまた天皇に対して向けられるものであった。君民の関係は父子に等しいと考えられていたからだ。こういう家族国家観は現代の「一般的道徳」とは言えない。

住友陽文@akisumitomo

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