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江戸時代の天明の大飢饉の原因のひとつ、天明3(1783)浅間山の大噴火。3ヶ月続いた後に爆発し、北裾の鎌原村を大量の土石が高速で流れ下り、477人と馬165頭を呑み込み、6m近い厚さの土石層で埋め尽くした。高所にあった観音堂だけが残され避難した93人が生き残った。50段あった石段は35段が埋まり、→ pic.twitter.com/Cdqhf9rqr8

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栗太郎(kuritarou13)@kuritarou13

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老婆と老婆を背負った女性の二人が石段を上り切れずに犠牲となった。母と娘か、姑と嫁か。アサマはアソと同じ火の山を表すそうだ。平安の頃にも大噴火があったそうで、かつてはモクモクと煙を吐いていた活火山だったのかな。集落の町並みは土石層の上に旧状のまま復興したという。悲しみを乗り越えた→ pic.twitter.com/YMrOF5cBvc

栗太郎(kuritarou13)@kuritarou13

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