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それで批評(文学のだぞ)は抽象的な「私」には戻れないと思うな。というかそういうことが明らかになるこの25年であった。創作に比べて気付くのが遅かった。文芸批評の新人賞だと、すばクリが出来た時あくまでも亜(変)流で、群像が本流の扱いだったが、逆だよね。少なくとも10年続けてほしかった。

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中沢忠之@sz6

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その意義がもっと周知されたはず。批評の抽象的な「私」の加害性(男臭さ?)は批判されてきたけど、当事者(アイポリ)的な「私」にそういうのがないかというと当然そんなことはない。今後は問題になってくる。笙野問題をみればすでに問題になってますかね。加害を悪い意味でのみとらえる必要はない

中沢忠之@sz6

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