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ダムタイプや高谷史郎さんのソロ公演と比べると遥かに簡素でギミックも少ない。禅寺の石庭のようなステージ。一面に池のような水が張られている。そこへ田中泯の舞踊(というか身体所作)と朗読と笙の音色が介入する。派手な要素はなく、石庭を観想しているかのような心境になってくる。→

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エンドス@los_endos_

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音も映像もパフォーマンスも全編「水」に溢れている。タルコフスキーの映画がそうであるように「水」は生成変化の象徴である。そして漱石の夢十夜、邯鄲の枕、胡蝶の夢などのテキストが朗読・引用され、田中泯の身体が悠久なる時の流れと流転する生命の原質に対する枯れゆく身体の有限性を表象する。→

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