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同じく歴史物語の『栄花物語』は「円融院の時代に、貴子を宮仕えに出させたところ、女ではあるが、漢字をたいそうよく書いたので、内侍(天皇付きの女房)になさって、高内侍といわれるようになった」(さまざまのよろこび巻)と伝えています。

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元防衛庁キャリア官僚「太田述正」非公式@nobumasa_oota

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高内侍は何よりも男性顔負けの、漢籍の素養で有名な女房だったのです。 そのような才女と道隆は、現代の職場恋愛のような形で結ばれたようです。『栄花物語』は子供たちが優れていたのは、この北の方の才知のおかげだと記しています。

元防衛庁キャリア官僚「太田述正」非公式@nobumasa_oota

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