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尤も、この神の絶対性を巡る問題は、当然のことながら、西洋哲学史でも主要な主題でした。 絶対存在としての神の存在をどうして不完全なる私が認識することが出来るのか、という議論は中世は基より、近世哲学史を通して議論され続け、その結果、キリスト教神学と近代自然科学とが分離していくのです。

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スカーロイ✈️@Skarloey_Engine

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私という存在は神の被造物である、であるならば、この机も、この本も一切は神の被造物であり、互いは緊密に連携をしていると考えていけば、一神教の世界観と大乗仏教の世界観は繋がっていくような気がします。 一つ言えることは、そのようなことを感得する為には、それなりの修行が必要ということ。

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