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菊地・島村対談。短いページで日本民俗学史を振り返ってもらえるので門外漢にはありがたい。郡司ペギオ幸夫さんの内側/外側/外部の区別を使いつつ、民間信仰とは「外部」を「外側化」する営みであるという島村先生の指摘は面白いです。

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編集A@創元社@sgs_asayama

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「私(たち)が資料である」という菊地先生の見解に言及されているのも、対談以降の論考を読むための伏線として気が利いてる印象。この点、研究という営みを再帰的に問い直すための指針としては有用と思いつつ、自分を調べればそれで学問、という方向にいくのならやや抵抗感。

編集A@創元社@sgs_asayama

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