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孝標女らの母は倫寧女。常陸から帰京したのは1020年の9~12月、従兄弟の道綱死亡が1020年10月16日。日記には書かれてないけど7日間の服喪が必要なはず...しかも親族で唯一の上達部(&天皇の元外戚)の死だしそう軽い出来事でもなかったんじゃ...帰京後、両親と住みだした家が三条院なのも気になる...

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京都在住@FJCqA8PvcO5412

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三条院が死んだのは1017年...禎子内親王に絶対相続させる!と約束してから3年しか経ってないし道長・他の(内)親王も健在で何故売りに出されたの?て感じ。御堂関白記から1019年3月にはまだ道長が管理してたぽいけど。孝標帰京時には既に倫寧女が三条院に住んでいる。 twitter.com/FJCqA8PvcO5412…

京都在住@FJCqA8PvcO5412

返信先:@zh2eja727KHPI1L私もビックリしました!角田文衛氏が推定したらしく「角田氏、道綱母邸の推定は間違ってたな」と思いつつ確認しました。日記から「三条の宮(修子内親王)の西なる所」「禎子内親王の家の隣」と分かりますが、確かに三条院にドンピシャです。1032年には右馬権頭章任の家になってるようでした。

京都在住@FJCqA8PvcO5412

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